不機嫌は罪である

今日は「不機嫌は罪である」斉藤孝著 角川新書 からです。

 

 

引用↓↓↓

《叱る時こそユーモアを》

例えば学生の1人が発表のプリントを忘れてしまうと言う事は時折あります。

これまででしたら教師はストレートにこう言っていました。

「なんで忘れたの?先週ちゃんと言ったよね。プリントがないと進められないよ」

 

目に見えて不機嫌さをあらわにしなくとも、好ましくないと言うことを強調して伝えていた訳です。ダメ出しもしくは説教です。

しかし今の時代、説教ほど危険なものはありません。

相手は傷つくのみでこちらの真意は伝わらず、その後の関係がギクシャクしてしまう、もっと悪いと保護者が出てきて周囲を巻き込む問題に発展する、こうしたことが今様々な教育現場で起こっています。

そんなに傷つきやすい相手に対して指導ができるのか?と不安に思う方もいるでしょう。

しかし不機嫌を使わずに、言いたいことを伝える事はいくらでもできます。

「了解しました。今日はプリントなしでこうやるけれども、次からはこうしてきてくださいね」

 

と言うフラットな言い方ができれば及第点。

もっと効力があるのはユーモアを交えてミスを正すことです。

「いや、まぁ、授業におけるプリントっていうのは、水泳の時間における水着だからね。水着なしで平気な人はもちろんいるんだけれども、周りがいたたまれないからさ」

シンプルなジョークですが、こうした言い回しをすることで教室全体が笑いに包まれ柔らかな空気になります。

忘れた人も素直に次から気をつけようと思えるようになります。

不機嫌を退ける上で、ジョークは大きな味方です。

ジョークを言えると言う事は、自分は事態を客観的に把握し自己をコントロールできていますと相手に示すことにもつながります。

 

☆zekkoutyou

なるほどー!!

とっさにこんなジョークが言えたら!

「不機嫌を退ける上で、ジョークは大きな味方です。」

新しい視点、いただきました。

 

 

「ほんものチーム」

今日の引用は、月間「日本教育」令和3年12月号 より

大阪教育大学教授 家近早苗氏の記事、

教員の心のサポート「ほんものチームによるサポート」からです。

 

 教師のメンタルヘルスには、学校が良好な職場環境であると同時に、教職員の間でよい雰囲気を作ることが影響します。

 「教職員のメンタルヘルス対策について(最終まとめ)(平成25年)では、

「教職員には特技や持ち味がある。優れた実践をした時には認め、良いイメージをもって振り返ってもらうことができればストレスもたまりにくい。」こと、

「教職員が感じたことや疑問に思っていることを出せるような雰囲気づくり」がしめされています。

 教職員にとって良い雰囲気をつくるのが「協同的風土」であり、それを支えるのが教師の「チームワーク」です。

 効果的なチームワークについて考えるとき、企業文化論で有名なカッツェンバックらの高業績チームのモデルが参考になります。このモデルでは、チームは見かけ上は同じに見えてもその内容によって業績と効果が異なる4種類のチームがあることを示しています。家近。石隈(2021)はこれを3種類で整理しています。

①なりかけチーム

チームとして共有する目的や目標を明確にもたないチーム

②「にせチーム」

チームとしての目的に関心のないチームです。

③「ほんものチーム」

メンバー全員が共通の目標を持ち、互いの強みを生かして、共同で授業作り、子ども支援を行うチームです。

このチームでは、成果はチーム全体のものであり、メンバーの小さな一歩(成功を全員で喜ぶことができます。また、メンバーやリーダーの変更などのとき、その困難さを素直に受けとめ葛藤を言葉にし、乗り越えるのです。

3種類のチームを思い浮かべたでしょうか。教職員で作られるチームが「ほんものチーム」になることで、教職員同士が安心で自分を出せるよい雰囲気(風土)につながり、教職員のメンタルヘルスを支えるのです。

そして教師が生き生きとやりがいをもって教育活動を行うことは、児童生徒のメンタルヘルスや学校生活の質にも影響します。

ほんものの「チーム学校」に期待します。

 

教職員が幸せであること

今回の引用は「教職研修2022年1月号」教育開発研究所 発行

特集1 「持続可能な社会における持続可能な学校」

の中の

「学校運営を持続可能にするために管理職がなすべきこと」 小学校長 住田昌治氏の記事から一部抜粋です。

 

≪教職員が幸せであること≫

学校全体が持続可能になっていくためには、長年にわたって問題視されている教員の働き方も重要なテーマです。

「元気な学校は、元気な教職員から」

「持続可能な学校は、持続可能な教職員の働き方から」です。

最高のパフォーマンスを発揮するために「不眠不休、寝食を忘れて働くのが美徳、長時間労働は当たり前」とする働き方から、「寝食を忘れず、自分で1日の生活をマネジメントする」働き方に変革することが重要です。

 旧態依然をしたやり方を変えようとしない前例踏襲が学校文化の特徴ですが、今まで通りという習慣にとらわれず、「変えることができた」という経験を積むことで自己肯定感・自己有用感も高まります。

 学校で教育活動の改善を考えるときは、「子どものため、がんばってやりましょう」という意見が重視され、教職員が楽になるような意見は軽視されがちでした。

 しかし、教職員の負担が減って楽になれば、教職員が元気になって教育活動が活性化するのです。反対意見もあるかもしれませんが、「教職員が幸せになる」という視点が大切です。

 そもそも、幸せでない人が他の人を幸せにすることはできません。

 学校では、先生が幸せでないのに、子どもが幸せになれるはずはありません。

 子どもは、疲れ果てて元気がない先生ではなく、元気で楽しそうに授業をしてくれる先生を求めています。

 そんな学校にするためには、すべての教職員がビジョンを共有し、それぞれの立場でできることを考え、協力して取り組むことが肝要です。

 

☆zekkoutyou

 以前も、住田校長先生の記事を引用させていただきました。

 「そのとおり!」と膝を打ちたくなるような言葉が多いのです。

 

今回の引用は、3ページの記事の中でも最も共感した部分です。

 

 

  「そもそも、幸せでない人が他の人を幸せにすることはできません。

  学校では、先生が幸せでないのに、子どもが幸せになれるはずはありません。」

 

 まったくです。

「インテリ悪口本」より②

続きます。今回も中原中也のエピソードです。

この本は息子のもので、お正月休みに気になって読んでみました。

おかげで、どのエピソードが好き?と言う話題で二人盛り上がりました。

二人とも、一番好きなのがこの中原中也の章でした。

 

 ちなみに、この後中原中也は「お前は何の花が好きなんだ!?」と太宰治に問い詰め、太宰治が「桃の花」と答えると「ちっ、だからおめえは!」と吐き捨て、最終的に乱闘になったらしい。このくだり、一つも意味がわからなくて最高だ。

 なんで好きな花を聞いたのかもわからないし、「桃の花」という回答がダメな理由もわからない。乱闘になる理由に至っては想像もつかない。文豪たちは俺たちの常識の外に住んでいる。だからこそ「青鯖が空に浮かんだような顔」などというフレーズが発生するのだ。

 また、ここに居合わせた檀一雄は乱闘の中で太宰の味方をしたらしく、「中原がこの角を曲がってきたらこの丸太で脳天を割ろう」と丸太を構えていたらしい。全員頭おかしいよ。「丸太を構える」って『彼岸島』かよ。

 幸い、中原が違う道を通って帰ったので、檀一雄彼岸島大作戦は成功しなかった。よかった。もし成功してたら中原中也の死因は「脳天を丸太でかち割られたから」になるところだった。そんな死因だったら面白すぎて詩を鑑賞するどころじゃなくなってしまう。中原中也は病死で本当に良かった。「若くして病死」って、詩人として最高の死に方だよね。

 

 

☆zekkoutyou

 

 「 このくだり、一つも意味がわからなくて最高だ。」

まったくです。

 凡人にはまったく理解不能なエピソードに笑いました。

 

全く教育的ではありませんが・・・。

 

「インテリ悪口本」より

今日の参考文献は「インテリ悪口本」 堀元 見 著 光文社 からです。

悪口は言うまい、と思っております。

特に、新年を迎えましたので、

「愚痴、悪口は言わない」

 に改めて挑戦しようと思っています。

 

ですが、この本は面白かった!

その中でお気に入りのエピソードを引用します。

 

≪青鯖が空に浮かんだような顔しやがって≫

 

・・

 中原中也は詩を書いている時だけでなく、常時天才である。・・・

 こちらも歴史に名を残す文豪・太宰治は、中原中也に対して複雑な感情を抱いていたようである。尊敬する気持ちと嫌悪する気持ちが同時にあったらしい。

 というのも、中原中也は天才なのだが、何しろアバンギャルドでめちゃくちゃなので、酒を飲むととんでもない暴言を吐いたり攻撃性を発揮するのだ。

 ・・ある日事件が起こる。例のごとく中原中也太宰治が飲んでいる時、最初は仲良く喋っていたのでいたのに、酒が回ると中原中也が例のからみを始めた。

 太宰はそれをテキトウにやり過ごしていたのだが、中原を尊敬する気持ちが漏れ出してしまい、甘くたるんだような声で返事をしていたそうだ。今風に言うなら、ニヤニヤしていたのだろう。

 そんなニヤニヤした太宰を見て気に入らなかったアバンギャルド中原は、こう言った。

「青鯖が空に浮かんだような顔しやがって!!」

 さすが天才詩人のセンスである。・・・中原中也は、飲み会の暴言まで天才的だ。

 僕らもこれを踏襲して、飲み会で締まりのない顔をしている人を見かけたら「青鯖が空に浮かんだような顔しやがって!」と言ってみるといいと思う。独特な暴言を飲み会で活用していくことで、天才詩人・中原中也の言語センスを着こなそう。

 

 

☆zekkoutyou

 中原中也と言えば若くして死去した天才的な詩人・・と言うことくらいしか知らなったのですが、アバンギャルドな人だったのですね!

 思いつきます?

 青鯖が・・・って・・。

 今回の本の中で、一番気に入った悪口でした。

「ソーシャル・エモーショナル・ラーニング -レジリエンスを育てるー

今回は月間日本教育7月号の「教員の心のサポート」 法政大学教授  渡邊弥生氏の記事からです。

 

・・・学力不振や学習意欲の低下の問題があるといわれていますが、実は、自分や他人の気持ちを理解し、互いの感情の葛藤を解決したり、自身の感情を調節するといった感情リテラシー(育てられる感情力)やレジリエンスの低さに問題があります。

 

 子どもも大人も、自分や自分の身近にあるリソース(資源)に注意を向けることが大切です。

 

「私がすきなものやこと(I like)」

「私が持っているもの(I have)」

「私ができること(I can)」

「私の特徴(I am)」    (心の4つの筋肉)

 

といった4つの側面について、例えば毎日寝る前にでも、3つずつくらい考えてみてはどうでしょう。自分の強み、自分には味方がたくさんいること、好きなことややれることが結構あること、こうしたことが即座に思い出せると自信になるのです。そして前に一歩踏み出す回復力も増していきます。助けを求めることができるのです。こうしたスキルをSSTなどを通して一人ひとりが育てていくことができると、個人のみならず、クラスの雰囲気が明るくなり、健全な学校風土を培うことにつながります。

 

心の4つの筋肉を意識すると、自分は「結構イケてる」とか「恵まれている」と感じ、自身がでてきます。

 

☆zekkoutyou

 

幸せに4つの因子、にも通じるものがありますね。

「心の4つの筋肉」という言い方が面白いです。

筋肉だから、鍛えれば鍛えるだけ、強くなりそうですね。

「すべては子ども達の笑顔のために」

今回の参考文献は「月刊日本教育9月号」

保護者との連携 「すべては子ども達の笑顔のために」 横浜市立日枝小学校長 住田 昌治 氏の記事からです。

 

・・・職員にとっても保護者にとっても子どもが笑顔でいることが目的なのです。ですから、保護者との連携について考えるときには、「子供の笑顔」がキーワードになるのです。保護者の願いは、学校で子どもたちが笑顔で過ごしていることではないでしょうか。子どもが笑顔で過ごしている姿を見て、学校を信頼し、安心して学校に子どもを通わせることができます。

 小学校では、少々嫌なことがあっても担任の先生を信頼している子どもの姿を見ると保護者は安心すると思います。こういうことも、保護者との連携では大切な視点です。子どもが先生のことを信頼していないようでは、連携の土台は築けません。担任の先生は、子どもの話をよく聞き、子どもの関心事に関心をもって、信じて任せる関わり方を大事にしていかなければなりません。

 

 では、子どもを笑顔にするために学校ではどうすればよいでしょう。

 答えは簡単です。学校にいる大人が笑顔でいることです。

 それは、家庭でも同じです。

 

教職員と保護者がお互いに笑顔で話したり、一緒に活動する姿を子どもに見せることです。それが子どもを笑顔にする最良の方法であり、保護者との連携で今まで以上に学校を活性化させる土台となるのです。・・・

 

☆zekkoutyou

  

   では、子どもを笑顔にするために学校ではどうすればよいでしょう。

 答えは簡単です。学校にいる大人が笑顔でいることです。

 それは、家庭でも同じです。

 

これです!

学校にいる大人が笑顔でいること、は本校で先生方にはいつもお願いしていることです。

家庭でも同じです。・・・ここは伝えていきたいところです。

子ども達の笑顔のために。