「経営のこころ」会社を伸ばすリーダーシップ
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心を通わせるには、「愛されるためには愛さなければならない」と言われるように、その中心になるべき私、すなわち経営者が、まず素晴らしい心の人たちに集まってきてもらえるような素晴らしい心を持たなければならないと、私は解釈している。
そのために経営者である私自身がわがままを自戒している。
また、皆の心を一致団結させるためには、やはり経営者が私心をなくして、皆が心を寄せてくれるこの集団のために、少し時代がかった表現ではあるが、命をかけるというくらいの気持ちで社員につくさなければならないと考え、努めている。
そうした、信じられる者同士の集まりということを基本にして、今日までやってきた。
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心は心を呼ぶというが、やはり経営者としては、素晴らしい心根をもっていなければならない。
これはいわゆる思いやりとか、宗教でいう慈悲の心にも通じるものだ。
また、私心をなくし、皆のために尽くすという犠牲的な精神が、経営者には絶対に必要だと思っている。
★zekkoutyou
未熟者の自分には、耳が痛いです。
そうでありたいと思っていますが、現実はなかなか・・。
「経営のこころ」会社を伸ばすリーダーシップ
稲盛和夫述 稲盛ライブラリー編 からの引用
第1部 人をたばねるこころ
Ⅰ 心をベースとして経営する
1 心通う、心で結ばれた集団をつくる
2 お互いに感謝しあい、誠を尽くし合う
3 自らの哲学、理念を高め続ける
4 未来はこれからの努力で決まる
5 人の心理をよく理解し、人を動かす
★zekkoutyou
これは、目次より抜粋したものです。
目次だけで名言集ができそうです。
『学び合い』誰一人見捨てない教育論
西川純著 明治図書 からの引用
2種類の校長がいる。
いずれも、学校の課題は何であるかを明確に示していた。
そして、基本的に管下の職員に任せる。
しかし、問題が起こった後に違いがでる。
第1の校長
自身の過去の経験に基づいて原因を特定し、適切な解決策をアドバイスする。
職員の中で、「さすが校長!」と評価が高まる。
そうなるとどうなるか?
職員室をリードする職員が事前に校長に相談するようになる。
そして、自分で考える割合を減らすはず。
この傾向は、リードする教員から周りの教員に伝染します。
その結果として、校長レベルには安定して到達することはできる。
しかし、それを超えることはできないのだ。
さらにその校長が「根拠俺」レベルの場合、その到達点は非常に低いものになる。
何よりも、職員が校長の方向のみを見ており、結果として職員集団の凝縮力は低くなる。
第2の校長
子ども達・職員の生命・健康に関係なく、関連法で明確に違法でないならば、黙ってみている。
職員室をリードする職員が相談に行くだろう。
しかし、「私は皆さんを信じています。皆さんが出来ることで、皆さんが最善であろうことをやればいいのです。心配しなくても大丈夫です。問題が起こって抗議があったとしても、私が皆さんを守ります」と全職員の前で言うのだ。
その結果として、低いレベルにしか到達できないかもしれない。
しかし、このようなことを一貫して続けるならば、安易に校長に頼らず、自らで解決できる職員集団が育っていく。
2種類の校長の違いはどこにあるのか?
「学校教育は何か」が違う。
第1の校長は運動会、文化祭等の各種行事、テストの点数こ高水準で維持することと考えている。
第2の校長は、子どもや職員の生涯の幸せを保証するという視点で考え、運動会、文化祭等の各種行事、テストの点数はそのためのツールに過ぎないと考えている。
そして、自分の能力よりも有機的な職員集団の能力が遥かに優れていると信じているのだ。
みなさんはどちらの校長の学校につとめたい?
『学び合い』における教師は、この第2の校長の立ち位置なのだ。
★zekkoutyou
たとえが校長なので、いつも以上にドキっとします。
自戒のため、メモします。
『学び合い』誰一人見捨てない教育論
西川純著 明治図書 からの引用
3 『学び合い』でよく聞かれることQ&A
『学び合い』における教員の役割とは?
私は教えることは子ども達が出来るし、子ども達の方が上手く教えられる書いている。
これに対して、「子どもへの丸なげ」「教師の責任放棄だ」と批判されることもある。
しかし、教師は何もしなくて良いとは一言も書いていない。
ただ、教師の仕事は別にあり、そこに集中すべきだと書いているのだ。
医者の仕事は何か?
聴診器で心音を聞くことか?
注射をすることか?
違う。病気を治すことだ。
聴診器で心音を聞くより、注射をするより良い方法があるならば、それをすべき。
★zekkoutyou
>「子どもへの丸なげ」「教師の責任放棄だ」と批判されることもある。
あるあるです。
でも、実際にこのたとえで言うところの「病気が治る」ところを見れば、分かってくれる人もたくさんいます。
『学び合い』誰一人見捨てない教育論
西川純著 明治図書 からの引用
子どもという子どもは一人もいません。
一人ひとりは違います。
そして、求めているもの、分かる説明は一人ひとり違うのです。
だから、教師がみんなを分からせようとするのは無理なのです。
それは1分間空中浮揚するのと同じレベルで不可能なことです。
しかし、教師が相手にしているのは「個々の子ども×30人」ではなく、一つの集団と考えるならば、教師のできることはあります。
それが出来るのは集団の構造を理解しているからです。
「個々の子ども×30人」全員に分からせなければならない、「個々の子ども×30人」全員に納得させなければならないという呪縛を解いてください。
そうすれば、見えるものは大きく変わるはずです。
★zekkoutyou
「子どもという子どもはいない」
教師がみんなを分からせようとするのは無理。
これは、『学び合い』を実践するようになり、西川先生の著書やブログを読み続けている身からすると、繰り返し目にする言葉です。
そして、この呪縛を解くことで、教師の仕事をこれまでよりずっと楽しめるようになりました。
『学び合い』誰一人見捨てない教育論
西川純著 明治図書 からの引用
「凡庸な教師はただしゃべる。
よい教師は説明する。
すぐれた教師は自らやってみせる。
そして、偉大な教師は心に火をつける。」
これはウィリアム・アーサー・ウォードの有名な言葉。
私はこれに一行加えたい。
凡庸な教師も、「仲間の心に火をつけることが自分にとって得である」ことを子どもたちに語れば偉大な教師になることができる。
★zekkoutyou
凡庸な教師である自分も、子ども達と一緒に学び合い集団をつくることで、幸せな教師人生を送ることができました。
仲間になりましょう♪
『学び合い』誰一人見捨てない教育論
西川純著 明治図書 からの引用
1『学び合い』とは
なぜ、人間関係が向上するのか
「『学び合い』では成績下位層には得だけど、上位層は時間をとられ損」と考える方がいる。
もし、それが本当だったら、『学び合い』初手から成り立たない。
ところが、多くの実践で『学び合い』成立している。
理由は成績上位層にとっても得だからだ。
知識の伝達だけで損得勘定をすれば理解不可能だろう。
しかし、子どもたちは多様な面で損得勘定をする。
例えば、教えれば「ありがとう」と言われる。
そして、クラス集団での中での立場があがる。
さらに、本当の成績上位者は、人に説明したがその人から「わからない」と言われて対話を続けると、より深い理解に至ることを経験する。
このような積み上げで子ども達は仲良くなる。
★zekkoutyou
実際、上位層の子といつも最後まで「わからない」と言い続けていた子が、とてもなかよしになっていることも目の当たりにしました。
「教えることで自分がよりよくわかるようになった」ということを、ちゃんと言葉で表現する子達にもたくさんであってきました。
成績は上位だけれど、人間関係を作るは得意でなかった子が、『学び合い』を通じてクラスに溶け込んでいく姿もみました。
つまり、これは、本当に本当です!