今回は「日本一心を揺るがす新聞の社説 それは朝日でも毎日でも読売でもなかった」水谷もりひと著 ごま書房新書
≪どうしたら笑ってくれるか考える≫
新年は何と言っても年賀状である。以前、朝日新聞の読者欄に、子どもが山間部の小学校に通っているという40代の母親が「校長先生からこんな年賀状をもらいました」と投書していた。
その年賀状にはこんなことが書かれてあったそうだ。
「おもちを食べすぎておなかをこわしましょう」
「おとしだまをぜんぶむだづかいしましょう」
「わがままばかりいってしかられましょう」
都会の小学校だったら、すぐ保護者から抗議の電話が殺到するご時勢だが、この母親はその文章を読んで、なんてステキな校長先生なんだろう、と思った。
年賀状に書かれてある事柄は、普段「気をつけなさいよ」と子どもに注意していることだが、逆に「子どもらしさ」を奨励することで読む人に笑いを誘っている。
笑うと頬の筋肉が緩む。すると心まで緩むから不思議だ。その緩んだ心の中に校長先生の本当のメッセージがしみこんでいくのだと思う。
昭和の名人といわれた五代目・古今亭志ん生と六代目・三遊亭円生が若い時に体験した話が芝居となって上演された。
戦時中、二人は関東軍の慰問で中国に渡った。ところが敗戦となり、大連で置き去りにされ、さらにソ連軍の侵攻と同時に大連は封鎖。命からがら逃げ惑った。
食うや食わずの放浪の末、たどり着いたのではカトリック教会のシスターたちが戦争難民の炊き出しの奉仕活動をしているとことだった。そのシスターたちも、本部から退去命令が出て、難民を見捨て、その地を立ち去らなければならないとう苦境にたたされていた。
そこに現れた志ん生と円生さん。「自分たちは噺家だ」とシスターに説明するのだが、世間離れしているシスターたちに理解されない。
「生きることは苦しみそのもの。苦しみや悲しみは放っておいても生まれてくるのです。」とシスター。
「あんたたちの教えには笑いは入っていないのかい?」と円生さんが聞くと「もともと笑いなんてこの世には備わっていません」とシスター。
「この世にないなら作るんだよ。俺たちは笑いを作る仕事をしているんだ」と円生さん。シスターが不思議な顔をして、「笑いを作り出してどうするのですか?」と聞く。一瞬答えに窮する二人だが、こう答えた。
「落語はね、貧乏を楽しい貧乏に変えちゃうんだ。悲しさを素敵な悲しさに変えちゃうんだ」(円生)
「俺なんか葬式でも洒落を言っちゃうよ。薄化粧している色っぽい後家さんを見て、『後家さんもいいもんだな。うちの女房も早いとこ後家さんにしよう』とかね」(志ん生)
それから落語のネタを披露。それまで冷静沈着だった4人おシスターが笑い転げる。すると不思議なことに彼女たちの心に希望と勇気が湧いてきたのだ。
「ここに残りましょう。最後の一人まで難民を助けましょう。」と。
「たかがお笑い」と笑ってはいけない。ユーモアやジョーク、ウィットに富んだ話には人生を豊かにしたり、心を明るくする力がある。
如何に相手を笑わせるかを考えよう。くれぐれも人様から笑われないように・・
☆zekkoutyou
・・・「落語はね、貧乏を楽しい貧乏に変えちゃうんだ。悲しさを素敵な悲しさに変えちゃうんだ」(円生)
笑いの力ってすごいですね。自分にはない力なのでとても憧れます。