「人生を変える勇気」③

岸見一郎著 中公新書ラクレからの引用です。

 

暴言を吐かれたら(続き)

 

いつか講演会で私が話したことを全面的に否定した人がいました。

遠くからわざわざ私の考えに反駁するためだけにやってきたその人の声は大きく、私の存在すら許せないといわんばかりの怒りのこもった話し方は平静に聞くことができないものでした。

しかし、その時、私が受けて立っても意味がないことはすぐにわかりました。

どんな行動にも適切な面があるはずです。

同じ行為の適切な面に注目することで、同時に同じ行為の不適切な面に注目しないですむようになるのです。

反論の仕方はどうかと思いましたが、講演をさえぎって反論されたわけではなかったので、何の問題もありませんでした。

私はこう言いました。

「正直、私の話に正面切って反論した人はこれまで一人もいませんでした。反対意見を表明してくださってありがとうございました。」

今の場合、質問の内容や仕方はともかく、自分の考えを表明することはその人の厚意の適切な面です。

私の書いた本を読んだり、私の講演を聞いたりして、私の考えは間違っていると思う人は多いはずです。

しかし、反論する人は多くありません。

多くの人は私の知らないところで私を断罪していることでしょう。

そう思うと、その人が黙っていないで反論したことはありがたいことですから、私はそのことに注目しようと思ったのです。

しかし、私は再反論はしませんでした。

反論に耳を傾けるためには感情的でないことが必要ですが、この時はその人が感情的でなくなるためには時間が必要だと判断したからです。

その人はそれ以上は何もいいませんでした。

 

 

☆zekkoutyou

 

どんな行動にも適切な面があるはずです。

 同じ行為の適切な面に注目することで、同時に同じ行為の不適切な面に注目しないで   すむようになるのです。

 

このように冷静な対応が、いつかはとれるようになるでしょうか・・・。

自信ありませんが、この姿を知らなければ、目指すこともできません。

目指すことは今でもできます。