続きです。
「心を尽くす」
≪「ごくろうさん」を「ありがとう」に育てる≫
自分ではきちんと使い分けているつもりでも、子どもたちに伝わっていない言葉というのは結構ある。
例えば、ゴミを捨てに行った生徒との会話だが、
「池氏(私のあだ名のひとつだ)ゴミ箱のゴミ捨ててくるね。」
「ほい、ご苦労さん」
ということもあれば。
「行けポン(これもあだ名だ)ゴミ箱のゴミ、捨ててきたよ」
「ありがとう」
ということもある。
どちらも同じゴミを捨てていながら、なぜ私の評価の言葉が違うんだろうと気づく生徒も出てくる。
「先生、なんで同じようにゴミを捨ててきたのに『ごくろうさん』と『ありがとう』って言うの?」
「君には同じに思えるかい?」
「だって同じように1階までゴミ袋を抱えていくんだから同じでしょ」
「みんなもそう思うかい?」
「うーん」
形式的に同じことが実質的には違う場合があるということに、彼らは気づいていない。
質的な違いが分からない子どもたちに、個性の違いを認める人間関係を育てるのは難しい。
「ごくろうさん」には、労いの意味がある。
そうそう、この日本語は、年上に対しては使わないから、これも覚えておくといいぞ
それで「ありがとう」は感謝の気持ちがある。
私は、その仕事を係や当番としているものなのか、そうではないのかで使い分けているのだ。
ゴミを捨てに行く係ならば、ご苦労さん。
捨てていないことに気が付いて、係でもないのに捨てにいってくれた人にはありがとうだ。
ゴミ捨ての作業は、君らにとってどちらかというとやりたくないもんだろ。
だから、係や当番を置いてその仕事を交代で分担するんだな。
やるべきことをきちんとやるだけでも立派だと思うが、ちょっとレベルの低い立派だな。
係として自分がやることをやった上で他の人のために自分ができることはないか、と考えて行動してくれる。だから「ありがとう」なんだな。
ありがとうを言えるクラスに育ってほしいねえ。
☆zekkoutyou
これを読んで、以前にもったクラスでの出来事を思い出しました。