高本英樹著 明治図書 参考文献
「荒れ」に立ち向かおうとしなければ光は見えない
学級に荒れが見え始めた段階で、このまま学級崩壊に向かってしまうと予想できる場合と、完全な崩壊にまではならないと予想できる場合がある。
その違いは学級担任にある。
苦しくてもなんとか改善したいと思っているか、
子どもや保護者やこれまでの担任の批判を繰り返して、自分自身が目の前にいる子どもから逃げて、改善を望んでいないか、の違い。
改善をしようとするとかなりのエネルギーがいる。
そして、荒れに立ち向かう文、さらに子どもたちとの関係が難しくなることも予想される。
そんなリスクを冒してまでも何とか前進を試みるか、リスクを恐れて現状のままであり過ごすかは担任教師の決断にかかっている。
私は、前者をおすすめする。
よりよくしようと思わなくていい。
現状から少しだけプラス方向に進めば、それだけでたいしたものだと評価される。
私は、担任教師が、子どもとの心のつながりを自ら切らないことが、完全な学級崩壊を防ぐ最後の砦だと考える。
逆に言えば、それさえあれば、何とかなる。
この言葉を信じて、「荒れ」に向き合ってほしい。
荒れた心の向こうには、子どもの素直な心が宿っている。
闇があるから光が見える。
その闇に立ち向かわなければその光を見ることはない。
★zekkoutyou
本当にそうだ、と思います。
前者を選んでも、後者を選んでも、どちらにせよエネルギーは必要です。
同じ苦労するなら、あきらめより、光を目指したほうがいい。
それでたとえ失敗したって、失うものはない。
後者を選んだら、教師としての誇りを失います。