★先日、高校での授業を参観する機会がありました。授業がグループワークに入ると担任の男の先生から「女の子のグループに話しかけてもらえますか?」と頼まれました。それを受け、私が女子のグループに話しかけたら、笑顔でこたえてくれ、私の方がうれしくなりました。ところが後で話をお聞きすると、その中の一人は小学校三年生の時、担任の女の先生に「本当にばかだね」というような言葉をかけられ、それ以来小・中学校に通えなかった生徒さんだということでした。女の先生がこわくて話せない子が多いので、「こわくない」と思えるよう、話しかけてもらったという話でした。その小学校の先生は、必ずしもそんなに悪い意味で言ったのではないかもしれません。それでも、私たち教師の一言がとても恐ろしい凶器になるということを胸にとめておかなければならないと思いました。私たちは、教師の一言が子どもの支えになる、励みになる、勇気を与える・・・ように努めたいですね!

 

ここから、参考文献「明日の教室4」です。

 ≪子どもへの接し方≫

  子どもは大人にならなければならない。もし、今のままでよいのなら学校に来る必要はない。教師は子どもに対して「ここにとどまっていてはいけない」と訴えつづけなければならない。一方で、「今ここから始めてよい」と、彼らがそのようでしかありえない現状を認めてやらなければならない。この一見矛盾する二つの課題を両立させる方法の一つは、成長の目標をはるかかなたに設定してやることである。

 

1・「成長する力」を信じる

   自ら目標を立てて向上を目指す力。大人が要求し、子ども自身がその要求にこたえると決意すれば、子どもは大きく成長する。まずは、「やればできる」という気持ちにさせる。次に「やったらできた」という成功体験を。小さくてもよい。ほめるときは、単に「がんばった、よくやった」ではなく、向上の兆しを見逃さずにほめること。敏感な子どもなら口先だけのほめ言葉には動かされない。

    

2・「今このようでしかありえないこと」を受け入れる

   子どもに改善を要する点があるとき、本人がそのことにきづいている場合がある。このようでしかありえないことを受け入れるだけで、本人が改善に動き出すこともある。うかつに言葉をかけずに、黙って相手をよく観察し、困っていることやいらだっていることを共有することも時には必要。

 

3・「はるかかなた」をともに目指す

   教師自身が、近づきたいと熱く語れる「すごい人」をもちたい。「伝説の授業名人」でも歴史上の人物でもよい。尊敬する人物に「両親」「恩師」しか思い浮かばない人は要注意。そのためにも継続的な読書の習慣を身につけたい。子どもたちにも、伝記にふれる機会を増やしたい。余力があれば、子どもに人気の漫画等を「すごさ」との関連で語れるようにしておいても損はない。

 

 ★上記の、高校での授業は、小学校ではふつうに行われているようなグループでの話し合いや発表を行うものでした。それでも生徒さんたちは、「こんな授業ははじめてで、すごく楽しかった、またやりたい」と言っていました。私は「この高校で、生徒さんたちが救われていてよかった」と思うと同時に、互いを認めあって、自己肯定感を高めあえる時間を経験しないで高校に来ているということが切なくてなりませんでした。

 先生方は子どもたちを、心も体も安心・安全なところで、伸びやかに楽しく成長させることができます。

 先生も子どもたちも幸せな時間をたくさんつくっていってください。