今回の参考文献は 国立教育政策研究所長 浅田和伸さんの教職研修9月号の記事「新・教育直言」
からです。
タブレットを使ったいじめにより小学校6年生の児童が自殺するという大変ショックなニュースが報道されました。
人として大事なこととは何か。改めて考えたい、考えさせたいと思っていたところ、まさに「人として大事なこと」がタイトルとなっていました。紹介します。
【人として大事なこと】
・「強い力」と「弱さを思いやる力」
「これからの教育」といった話になると、たくましく強い力のようなものが強調されがちだが、教育
で大事なのはそれだけではない。人の弱さや痛み、悲しみや孤独などをわかり思いやる力も限りなく
大切で、そういうことこそ教育の核心ではないか。目新しくないからあまり言われていない気がする
ので言い続けてなくてはいけないなと思っている。
・「どう生きるか」こそが教育の中心
当たり前の話だが、勉強ができればいいとか才能があればいいということではない。
オリンピックの開幕直前には、開会式の音楽を担当するはずだった一人が、学生時代に障害のある
同級生等に行っていた残酷無残な悪行の数々を、成人後に雑誌のインタビューで得意気に語っていた
ことが表沙汰になり、結局辞任に追い込まれた。私も内容を見たが、到底許せるものではない。なのに
関係者は当初、時間がないというすさまじい理由でこの人の起用を押し通そうとした。
私も人に石をなげうつ資格があるとは思っていないが、この人たちはみな、人として何が大事である
かという軸がずれている。
言葉は繕える。言葉より行動だ。
「われわれは 正しい行動をすることで正しくなり、
節度のある行動をすることで節度を身につけ
勇敢な行動をすることで勇敢になる。」
(『これからの「正義」の話をしよう』マイケル・サンデル著 早川書房の一節)
「君たちはどう生きるか」ということこそが、教育の中心でなくてはならないと思う。(引用終了)
☆zekkoutyou
今回のいじめには配付されたタブレットが使われたということです。言葉による暴力です。
言葉はこのように、人の命を奪うことができる、恐ろしい凶器になります。
同時に、言葉は 人に勇気を与え、幸せにすることができます。
どう生きるか。人にどんな言葉をかけるのか。改めて考えさせていきたいですね。