高校野球神奈川を戦う監督たち ②

今日も、「高校野球神奈川を戦う監督たち」 大利 実著 日刊スポーツ出版社から引用します。

 

「うちの選手によく話すのは、『まずは人の話を聞けるようになろう』ということです。その習慣をつける。15分や20分、人の話をしっかり聞けないような選手が、ここで打ったら甲子園という場面で打てるとは思いません。話している側からすると、聞く側が『また、同じ話をしているなあ』と思うのは表情をみていればわかるものです。例えば、大学や社会人の指導者と話をする機会があったとっきに、『うちの監督と同じ話じゃん』と思った瞬間、『じゃあがんばれよ』、と話が終わるかもしれない。そこで『同じ話の中にも、何か違う奥深さがあるかもしれない』と聞いていれば、『内緒だけどな‥』と、とっておきの話がでてくることもある。人というのは、そういうもんだよ」

 得だから、損だから、という意味ではなく、「人から何かを学ぶ」という姿勢を高校のときにしっかりと身に付けてほしいという願いがある。野球をやめたあとにも、必ず社会で役立つことだ」

 

(部員からの話)

「夏の大会前に、監督室に呼ばれたんです。自主練習のことは知らないはずなのに、『あともうちょっと頑張れよ。お前が一番、野球が好きで、頑張っているのは分かる。最後なんだから、他のことは捨ててすべてを野球に集中してやってみろよ』と声をかけられたんです。」

「その次の日、練習試合があったんです。整列に行くときに、野呂監督が『おい!』と僕のことを呼び止めて、『神様は見てるよ』と。もう、それを聞いて、ウルっときてしまいました。」

 

野呂監督は、常日頃から言っていたという。

「一生懸命やったやつしか、ラッキーボーイになれない。宝くじに当たる確率よりも低いからな」

 

野呂雅之監督 桐光学園

84年から桐光学園の監督に付き1年目の夏には横浜を破る。2000年秋に関東大会ベスト8に進めい、01年選抜で甲子園初出場。その後02年夏、05年夏、07年夏、12年夏と神奈川を制し、12年夏には甲子園で初のベスト8入りを果たした。

 

☆zekkoutyou

昨日のハイキュー、北君のばあちゃんの言葉「神様が見てるよ」つながりに、思わずこの部分を引用させてもらいました。

指導者が、陰ひなたなくがんばっている選手をしっかり見ているということ。

わたしまで、ウルッとしてしまいました。

野呂監督は、同級生である早稲田実業の和泉監督に「野呂は教育者だからね。人として、というところを、きっちりと教えているよね」と評されていたそうです。

 

「教育者だから、人として、というところをきっちりと教えている」

教師として、このように評される人になりたいです。