「やる気スイッチを押してみよう」②

続きです。

 

≪みんなが学校に来るのは何のため?≫

 

「みんなは何のために学校に来ているの?」

 そう問いかけられたら子どもたちは、どう答えるでしょうか? 

「何のために?」と困って頭をひねっている子どもたちの様子が浮かびます。それぐらい「学校に来るのは当たり前」のことであり。目的意識などないのが普通かもしれません。問いかけられること自体に価値があります。

 

 「発問」を行う際には、「簡明かつ明瞭な解」の用意が必要です。つまり、党からには自分もちゃんと解を持っている。これも率先垂範のひとつです。

 自分ならどんな解を用意しますか?必ず自分なりの解を考えてから読み進めてください。

 

 私には、一貫して決まった答えがあります。

 それは、「学校には、良くなるために来ている」です。

 子どもに伝わる言い方では、これが1番よいのではないかと思って、これに決めています。

 つまり、「学校に来たら、今朝の自分よりも良くなって放課後下校している」という状態です。

 毎日、それを積み重ねたら、ものすごい成長になります。身長などは、子どもは自然と毎日伸びていきます。

 これを他の面、つまり学力、体力、道徳性、対人関係能力などすべての面で行うのが学校の役割です。

 例えば、子どもが、教室に落ちているごみを毎日気づかずに通り過ぎていたとします。授業で「ごみ箱は護美箱」「気づくことが大切」という指導をします。その指導後に、自然と拾うようになるのが具体的な「成長」の姿でせう。「心の成長」が表出していると捉えさせます。

 以前の自分よりプラスの方向に変化していればよい訳です。学校に来ている意味があります。

 

この考え方のいいところは、あらゆる問題行動に対しても、「それは自分を良くしている行為なの?悪くしている行為なの?」という一貫した言葉で指導することができる点です。指導に一貫性を持たせられます。

 

☆zekkoutyou

「学校には、良くなるために来ている」    

だから、行動を問うときに

「それは自分を良くしている行為なの?悪くしている行為なの?」という一貫した言葉で指導することができる。

 

これはとても重要な点だと思います。

一貫した言葉をもっていると、指導がぶれません。

また、一貫して言い続けたことこそ、子どもたちの血肉となります。

自分なりのもっといい解ができるまで、この言葉を活用させてもらうといいかもしれませんね。