「ポプラ」④

恩師 小野先生 学級通信からの引用です。

 

≪あそびは自分を貫くこと 人生に挑むこと≫

 

「あそび」と「おあそび」は全く違うと画家の岡本太郎さんがいっている。

「あそび」は生命を瞬間瞬間に燃え上がらせるようなひたむきなものだが、「おあそび」は安易な妥協だ、と。

スポーツでも音楽でも何でも夢中でぶつかり全身全霊を打ち込みさえすれば、それは「あそび」だ。

が、勤め帰りに一杯やってウサを晴らしたり欲求不満を発散させるためゲームセンターに寄ったりするのは「おあそび」

せちがらい現代、「おあそび」ばかりで「あそび」は姿を消してしまった、と岡本さんは嘆く。

「あそび」に本来上手下手の区別はない。

子どもの絵がいいのは、他人の目を意識せず、上手に描こうと思わないからだ。

純粋な生命力が見る大人を感動させる。

ところが空は青くしないと他人に変に思われるとか、木には枝がなければならないとか、他人の目を気にしだすと絵がだめになる。

周囲に妥協した「おあそび」の絵になってしまう。

下手でもいい。

下手なほうが素晴らしいと誇りをもって描きたいように描くのが大切、と岡本さん。

失われた「あそび」を取り戻すため岡本さんは東京で「あそびの祭典」を開いた。

東京に集まった八百人の子どもとサークルのリーダーは全国各地の遊びを交歓した。

壁画あそびでは岡本さんも子どもにまじって奔放な絵を描いた。

「あそびは自分を貫くことであり、人生に挑むことだ。

目的もって人生を賭けることだ。

自分で自分の生きがいを見出すことだ」と岡本さんは語った。

新学年。

「おあそび」「お勉強」ではなく、この「あそび」の精神を考えたい。

毎日新聞余禄より)

 

☆zekkoutyou

この記事は、自分にとって影響を受けた出来事でした。

ずっと、「あそび」の大切さを考えさせられてきた気がします。