田中茂樹著 ダイヤモンド社 からの引用
≪子どもの「遊び」につきあう意味≫
子どもの言葉は実に面白いです。
末っ子が3年生のころのこと。
夏の日でした。
家族で車で移動中で、そんなに急いではいなかったはずです。
ある公園の横を通ったとき、末っ子が言ったのです。
「あの公園でちょっと遊んでいこうか!」
妻も私も急いではなかったのですが、本当に普通の公園だし、夏で日差しはきついし、暑そうだし、家に帰ってやりたいこともありました。
それでも車を止めて公園で遊びました。
兄たちはもう高校生で、公園で遊ぶような年ではなかったのですが、末っ子につきあってくれました。
ものの20分くらいだったと思います。
おしまいに近くのコンビニで飲み物を買ってきて木陰でみんなで飲みました。
子どもの言葉は不思議です。
「ちょっと遊んでいこうか!」
っていうけど、遊ぶのは自分なんです。
「ここで、ちょっと遊んでもいい?」
とか言いそうなもんですが、そうではない。
「みんなで遊ぼうか!」
なんですね。
自分が遊びたいのと同じように、
「父さんや母さんも、兄さんたちも、遊びたいよね!」
と彼は思っているんだなと思いました。
彼は、大人の中の、子どもの心に呼びかけてくれたのだと思います。
わざわざこんな些細なエピソードを書いたのは、こういう何気ない出来事や、子どもからの呼びかけの言葉そのものが、振り返れば宝物になっている、ということを忙しいお父さんお母さんに気がついてほしいからです。
見過ごすのはもったいないと思うからです。
たまに彼らの提案に乗ってみると、親自身の幸福にもつながると思います。
★zekkoutyou
この続きに、「振り返ってみると、家族で公園で遊んだのは、あのときが最後だったかなと思います」とあります。
子育てで忙しい時は、そこまでつきあいきれない・・って思ってしまったことがあったと思います。
でも、子どもが親をそんな風に誘ってくれるのはいつまでも続くことではありません。
今思えば、もっともっと思い切り、一緒に楽しめばよかったなぁ。
でも、自分が心がけていてよかったこともあります。
子どもが話しかけてきたら、手をとめて話を聞くことです。
水仕事などしていて聞こえない時は、それをとめて子どものそばによって、聞くようにしてきました。
いつからか覚えていないので、子どもがうんと小さい時にはできていなかったかもしれないのですが・・・。
そのおかげか、息子たちは二十歳を過ぎましたが、これまでも今もよく話をしてくれると思います。