灯し続けることば
「裾を持ちなさい」
子どものころ、私たちは夏には浴衣を着て寝ました。
朝、その浴衣をそのままにしておいてはいけません。
畳んで置いておくのですが、私はいくらやってもきちんと畳めませんでした。
「もう少しきちんとしなさい」と言われないように、四苦八苦していたのです。
でもどうやってもうまくいかなかったときに、通りがかった母が、一言、「裾を持ちなさい」と声をかけてくれました。
浴衣には両脇に脇縫いというのがあります。
そこの裾をもってから肩のほうを持つと、ぴーんと長方形になります。
裾を持たずに上だけもっても、だらしなく斜めになるだけです。
母のこの一言で、たちまち私は、浴衣をきれいにきちんと畳めるようになりました。
教師になって、私は子ども達に「ああしなさい、こうしなさい」という立場になりました。
そのとき、私は「きちんと畳みなさい」と言うのではなく、「裾を持ちなさい」と言える教師でありたいと思っていました。
「姿勢をよくしなさい」「よく読みなさい」というのではなくて、自然にそうなってくようにするのです。
姿勢をよくしなければならないのなら、自然にそうなるような一言をかけたい。
「きちんと畳みなさい」は棘のあるような、人を責めるような言い方ですし、ではどうすればいいのと言いたくなります。
でも「裾を持ちなさい」と言われたら、誰だって裾ぐらい持てますし、そして確実にきちんと畳めます。
小言ではなく、具体的で必ず成功できることを適切に指示できてこそ、教師ではないかと思いつつ暮らしてきました。
★zekkoutyou
これは法則化でいうところの「AさせたいならBと言え」にあたるのでしょう。
「おへそをこちらへむけなさい」 のような一言ですね。
具体的で必ず成功できる指示。意識して増やしていきたいものです。