心を育てる語り

渡辺道治著 東洋出版社 からの引用

 

心を明るくする語り

かしこくかっこよく

 

1年の中で最も大切な話をします。

机の上には何も置きません。窓もすべて閉めます。

腰骨を立てて、自分のできる最も美しい姿勢で聞きなさい。

第一に、学校は「賢く」なる所です。

学校に来て、賢くならずに馬鹿になってしまうのなら、学校に来ない方が良いのです。

学校と言う場所は、勉強をして、みんなが賢くなっていくためにあるからです。

だから、学校に来ている間ほんの少しでも何かを学び、朝来た時よりもわずかでもいいから成長して家路についてほしいと思います。

そのために、私も力を余すことなくすべて出し尽くしたいと思います。

そして、みんなが「賢くなった!」「できるようになった!」と実感できる瞬間を応援できるような授業を実現させていくつもりです。

第二に、学校は「カッコよく」なる所です。

まず大前提として「カッコよく」とは外見をさしているわけではありません。

日本語の中で外見をさして使われるようになったのは実は最近のことで、この言葉のもともとの意味は「ふさわしい」という意味なのです。

では、何においてふさわしくなることが求められるのでしょうか。

それは当然「6年生として」という冠がつくことです。

加えて、「学校のリーダー」という看板もしょって立つことになります。

6年生とは、学校の「顔」です。

6年生を見ればその学校の様子が分かります。

なぜならば、最上級生こそが全学年の「リーダー」だからです。

下級生たちは、良い事も悪い事も君たちの姿を見習うのです。

学校全体を変え、学校全体を動かしていくことのできる、唯一の学年がリーダーたる6年生というわけです。

この役割に「ふさわしく」なっていくとはどのようなことか、考えてごらんなさい。

つまり「カッコよく」とは、頭や体の成長とは別に「心」の成長をさします。

 

いくら勉強や運動ができるようになったとしても、この「心」の部分をなおざりにしてしまっていては、本物の「成長」にはつながりません。

賢くなること。

そしてカッコよくなること。

1年間、クラスで追い続けていきましょう。

★zekkoutyou

6年生を持ったなら、このまま真似させてほしいくらい完璧ですね!

初日にこの語りは、子どもにしみることでしょう。

「賢くなったといえるのか」「それがカッコよいことなのか」

1年間、この問いで子どもたちを育てることができます、すごいですね!