西川純著 明治図書 からの引用
対症療法と根治療法
子どもを自由にさせれば、当然、間違いやズルをする。
答えが間違ったままで授業を終える子もいるだろう。
理解せずに友達の答えを丸写しする子もいるだろう。
クラスの中で阻害されている子どもがいたら、それが如実に表れる。
しかし、それが大事。
教師が丁寧に確認すれば間違う子どもは少なくなる。
また、一人学びの時間を設けることもできる。
教師がグループをつくり一人ぼっちにさせないようにすることもできる。
しかし、いずれも対症療法なのだ。
・・・・
阻害されている子どもをどこかのグループに入れることによってホッとしているのは誰か?
無理にグループに入れても、その子は針の筵に座らされているかもしれない。
教師の管理下で一人ぼっちになるという状態を起こさせ、「それでいいのか?」とクラスに語り続けなければならないと思う。
クラスの誰かが「いっしょにやろうよ」と声をかけた時、本当の解決への糸口が生まれるのだ。
心優しい教師は、失敗しないよう、失敗しないようにと手立てを講じる。
それでは子どもは成長しない。
そして、教師の見えないところでは失敗する。
時間がかかっても、根治療法をすべきなのだ。
根治療法ができれば、それまでの失敗の帳尻が合う。
だから、子どもたちに任せる時間を設け、このノウハウを使ってほしいと願う。
★zekkoutyou
>阻害されている子どもをどこかのグループに入れることによってホッとしているのは誰か
ドキッとします。
今回引用の「子どもを自由にさせれば・・・」の部分は『学び合い』の批判によく使われることです。
でも、批判する方の授業では、それらのクラスの課題が「見えない」(見ない?)ようになっているだけとも思います。